このページは2ch野球板 森野将彦応援スレ4及び5にて
書き起こしネ申による連続私小説『相模の国の若武者』の投下を保存したものです。


950 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/08(火) 03:10:19 ID:l9y8sxcr0
>>945ですが、森野と聞き手の久野アナがダラダラ話す喋り言葉を大まかに文字に起こすので、読みにくかったら申し訳ない。

061113放送 第1話
※この私小説は毎回その選手に合ったタイトルを用意しているのでそれを決めることに。
(『湘南の若武者』『相模の若武者』『ハマのハードヒッター(ディレクター案)』から選ぶ)
折角なら日本ぽいのがいいですね。湘南よりは相模を使った方がいいかなと。神奈川は相模の国なので。

という森野の希望で、タイトル『相模の国の若武者』に決定。

061114 第2話
1978年7月28日に生まれる。(母親が美人だとアナが絶賛)
自分では気づかなかった。僕は常に母親に似てる似てると言われていたので。
自分の顔が母親の顔だなぐらいにしか思ってなかった。
父がカツヒコさん、母がマチコさん。3660グラムで誕生。お姉ちゃんが一人いて二人兄弟。
お姉ちゃんとは全然ケンカしなかった。小さい時はよく面倒みてもらったなあと思う。
子供の頃は病気が多かった。幼稚園も休みがち、小学校も最初は休みがち。
野球始めてから病気しなくなったけど、それまでは病弱だった。
運動は大好きだけど、何かやったらすぐに病気。しょっちゅう風邪をひいてた。

…とこんな具合で幼少期〜2006年まで続くわけですが、これだけでスレ占領するのはマズイので
投下に気にせず他の話題も進めてってください。折を見てちまちま投下してきます。


970 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/10(木) 00:18:13 ID:m2GdHwi/0
>>957
いつもホントに有難う。去年現地神の森野写真に散々癒やされたので、これが少しでも恩返しになれば。

061115 第3話
母親は陸上選手で、幅跳びとかやってたらしい。父親は野球が大好きで、草野球をやっいてた。
(川島小学校に入学)
野球は小さい頃から親父と遊びでやっていた。よちよち歩きの時からボールは常に触ってたと思う。
野球をちゃんとやり始めるのは小学2年生から。
本当は1年生から野球チームに入りたかったのに親が許してくれなかった。
なので2年生になった時に勝手に自分で申し込みにいって、親に「もう入るって決めてきたから〜」と(笑)。
(なぜそんなに野球が好きに?)
横浜スタジアムとかによく観戦に行きましたし、親戚にソフトボールやってる人がいたのでそこに行って遊んだり。
テレビ観戦もよくしてました、横浜のファンで。
当時応援してたのは横浜だったら遠藤一彦さん、結構古いんですけどスーパーカートリオの3人とか、
高木豊、屋敷、加藤博一、ポンセとか(ry、←どんどん出てくる…)。紺色に白のWでね。

061116 第4話
横浜のファンクラブに入っていたので、ライトスタンドにしょっちゅう行ってた。
将来はホエールズのユニフォームが着たい…とは思わなかったですね、いつも行くと負けるんで(笑)。
でも小さい頃から将来の夢は?と聞かれれば「プロ野球選手」と書いてた。
(自ら申し込みに行った川島イーグルスに入った)
幼稚園、小学校と一緒の仲のいい野球好きの幼馴染たちと一緒で、一生懸命頑張ってという、本当にいいチームだった。
(レベルはどれぐらい?)
最初は低いと思ったけど、最後の6年生の時には区の中では一番ぐらいのチームになってたので、
本当にいいチームになったなあ〜というカンジで終わりましたね。


971 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/10(木) 00:18:57 ID:m2GdHwi/0
061117 第5話
川島イーグルスではサードを守っていた。
なんかわかんないけどサードというポジションが好きで、『好きなポジションつけ』って言われると勝手にサードに入ってた。
6年生の時、保土ヶ谷大会決勝に4番サードで出場して優勝。僕は1安打3敬遠。
(その頃からもう森野には打たすな、ぐらいの評価だったんですね)
そこまで自分では思ってなかったですけど…勝手に敬遠されたってカンジでしたね。

061118 第6話
小学校の時は野球漬け。親父が家で働いていたので、僕が「ティーバッティングあげて」というとあげてくれたり。
平日はずーっと家の庭にネット張ってティーバッティング。
(お父さんは将来息子をプロ野球選手に、と?)
そこまではないと思います。進路は自分で決めろと言われていたので。
純粋に野球が好きで、僕が野球やってるのを見に行くのが楽しいらしい。
小学校が3時頃終わって、遊びに行って、6時前には帰ってきて、ゴハンの前にティーバッティング一時間位やって…。
暗いのでボールが見えるくらいの照明を2個買って来てやっていた。
(お母さんは勉強やれ!とか言いませんか?)
全然なかったですね、勉強は夜やれとか言ってたけど全然やんなかったですね(笑)。
(あんまりガーガー言われずに野球に没頭できる環境だったと)
そうですね、でも僕は結果を出すと練習やらなくなって、結果が出ないとやりだすタイプなんで、
野球もあんまり毎日毎日やろうとは思わなかったですけど。
勉強もまとめてやっちゃう方なんで…だから覚えたものはすぐ忘れます(笑)。

※次回から中学生編。幕田との腐れ縁もスタート。


975 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/11(金) 03:19:37 ID:0SorrbMI0
>>972多分10話あたりにその辺の話が出てるような…。明日は2ちゃんカキコできないそうなので保守がてら。

第7話
小学生時代は充実してた、ホントに「楽しい」という言葉しか出てこないですね、小学校時代は。
(モテたでしょ。運動できる子はモテるんですよ、げた箱にチョコ入ってたり…)
いや全然モテないですよ。逆に学校では一生懸命やんなかったんで…運動を。疲れちゃうから(笑)。
成績に響かない程度で。その頃から野球以外は真剣にやってないんですけど…(笑)。だから義理チョコぐらいで(笑)。
(そしてそのまま学区の中学校に上がると。公立の西谷中学校。野球の方はどうしました?)
中学校には野球部あったんですけど、親に
『強いクラブチーム行くのか、弱いクラブチーム行ってすぐにレギュラーで出るのか、
 それとも中学で野球するのか、進路を決めろ。どうするんだ』って聞かれた時に、
迷わず「強いチームでやりたい!」って言って。で親が探しに行ってくれたシニアリーグの強豪チームに入りました。

第8話
(どういうところからそういう気持ちに?自信があったのかな)
自信もありましたし、そのチームには小学生時代の有名な選手が集まってたので、入ってやってみたいなと。
(その名前が中本牧シニア。優勝経験のある選手たちがいっぱい集まってると。入ってどうでした?)
僕より体つきがデカイ選手が普通にいました。僕当時中1で160ぐらいしかなかったんですけど、
170超えてるような人間がゴロゴロしてるし、投げさせたら球は速いし…。
「すごいな!」っていう選手が沢山いたんで、大丈夫かなあ…とは思いましたけど。
(しまった中学の野球部入っておけばすぐレギュラーだったのに〜とか思いました?)全然思わないですね。
(それは思わなかった?この強いチームでなんとか抜け出てやろうと)そうですね、それはありましたね。
(なかなか負けず嫌いですね)ん〜…まあ負けず嫌いなんですけど、のんびりやというかね。
中3の時にしっかりレギュラーとりたいなというのがあって、それまでしっかり体作ったりしようと。
親父が『まだお前は体ができてない。周りの選手はもう先に大きくなってるけど、まだこれから成長するから。』
ってアドバイスしてくれて。だからそこまで焦らなかったです。


976 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/11(金) 03:20:09 ID:0SorrbMI0
第9話
小さい時は病弱だったけど、野球始めてから全くしなかったですね、本当に野球のおかげです。
(中学校3年間を中本牧シニアで過ごす。どんな生活ですか?)
月〜金は学校、土曜日に学校終わってから電車とバスで一時間以上かけて通ってました。
横浜駅まで行って、横浜駅からバスで終点の海辺まで行って。ベイブリッジの真下ぐらいにあるグラウンドに。
そこまでバスで30〜40分かけて行って…。土曜日はそんなにやんないんですけど、日曜は朝から晩まで。
家を朝7時半に出て夜の8時ぐらいまでやってましたね。
土日祝は小学校で野球始めてから一回もゆっくりした休みがないですね。でも野球やってる方がいいかなと。
平日は家で親父とティーバッティング。その時に体が開いてるとか色々アドバイスしてくれる。
「なんでこんなことまでわかんだろ?」ってくらい教えてくれました。ずーっと見てますからね…小さい時から。

第10話
(小学校の時から試合のビデオをしょっちゅう撮ったり?)
いや、ビデオは撮んなかったです、親父が頭の中で覚えておいて『あの場面のあの打席はなあ(ry』。
(今こうして活躍できるのもお父さんのお陰ですか)そういう風には思ってますね、はい。
(森野さん左ですけど、いつから?)
母親は僕が小さい時右でバット持って構えてたって言うんですよ。そしたら親父が
『お前違うだろ。こうやって持ってこっち側(左)に立つんだ。』って最初に教えられたらしいです(笑)。
(左の方が有利だろうと、そこら辺の計算がお父さんにはあっt)
ただ『右投げ左打ち』という響きが良かったらしいですよ。(久野爆笑)
(それも含めてお父さんに感謝ですね)感謝してますね。
(中本牧シニアではどれぐらいでレギュラーに?)
1年生の時は同級生が100人いたのが、2年生で50人になり、3年生で25人ぐらいになりました。
それでも1年生の頃から1軍メンバーに入るような人もいて。僕は2軍からスタート。

※次回からレギュラーへの道。そして関東大会へ。


10 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/13(日) 02:33:32 ID:jNyd9Whv0
>>1乙です。いいスレタイだね。私小説聞いてると野球大好きを思い知らされる。

第11話
2年生の春ぐらいですかね、しっかりと一軍になったのは。
一年経つごとに飛ばす力もついてきたし、バット振れる力があるなってのもわかってきましたし、
ちゃんとした球投げられるようにもなってきたんで、「あ、これはもうできるな」と思いましたけど、
しっかり自信もって試合に出たなと思うのは3年生の自分達の代になってからですね。
(その頃はサード?)
2年生の秋にサードでレギュラーとって、3年生の春過ぎてからチーム事情でセカンドになって。
サードしかできない子がいたんで、その子をサードにして「じゃあセカンドで」ってことでセカンドいきました。
そして自分達の代(3年生)で春の関東大会で優勝して…。

第12話
(関東の東京・千葉・埼玉とかの強いチームの中で優勝ですか!)
まあでも、僕…は何にもしてないようなカンジでしたけど…。チームメイトがホントに良かったんで。恵まれました僕は。
(そういう風なことを経験していくと、やはりいずれはプロへ、という現実感みたいなものを感じたり?)
中学校の頃はまだ無かったですね。まだ「高校」というのがありましたんで。

第13話
(そうそう、『夏の大会で打率6割で最優秀選手賞受賞、全日本選手権にも出場』って、凄いじゃないですか)
春と夏の関東大会優勝したんですけど、このチームで初めてだったんで、関東大会優勝したのが。
ホント価値のある優勝だったんで嬉しかったですし、そk(ry
(結果残してないと最優秀選手賞なんて受賞できませんよ?僕やってないとか言ってやってるじゃないですかっ)
…そうですね(押され気味)、まあ、ね、そのぐらいは、一つぐいらはとっとかないと。
(そして全日本選手権出場)
出ただけみたいなカンジになっちゃいましたけど(笑)。確か2回戦で有名な野村監督率いるシニアに負けましたね。
(今1993年あたりに来てるんですけど、『関東選抜のキャプテンとしてアメリカ・サンディエゴに遠征』!)
レギュラーとれた人間はみんなあちこち行ったんですけど、全日本として。良い思い出になりましたね、このアメリカ遠征は。


11 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/13(日) 02:34:37 ID:jNyd9Whv0
※アメリカでの思い出は相当楽しいものらしく、物凄く喋りまくりで長いす…。

第14話
(関東選抜ですから、関東大会で優勝したチームメイトも何人かいるんですね?その中でキャプテン)
優勝したうちのチームから5人位行ったんですけど、僕が副キャプテンやってたんで、この時『キャプテンやれ』と言われて。
(初めての海外旅行でした?)
海外行くのも初めてですし、飛行機乗るのも初めてで(笑)。成田からロサンゼルスだったと思うんですけど。
アメリカ着いた瞬間「空が広いな〜!」って。
ホームステイだったんですけど、英語なんて喋れるわけないじゃないですか、中学生で。
なので辞書持ってって(笑)。優しい家族だったんで助かりましたけど。
(カタコトのやりとりで)
辞書調べながら会話ですよね、言葉も発音もわかんないし(笑)。そんなカンジの中で生活して…野球もやって…。
(何日間ぐらい行ってたんですか?)
8月15日から31日まで。夏休みの宿題どころじゃなかったです(笑)。
(サンディエゴというとパドレスがありますね、大リーグの試合も見に行きました?)
行きましたね!その頃は大リーグの選手なんてわかんないし、今みたいにテレビでやってなかったんで
わからなかったんですけど、今考えると凄い選手たちがいたなーっていう。
その選手が出てくると凄い球場のみんなが盛り上がって、それで日本に帰ってきてから調べたら
「トニー・グウィン」ていう3000本打ってる凄い選手で。
「うわーこんな選手だったのか!」と。今更ですけど(笑)。もっと見たかったなー!って。


12 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/13(日) 02:35:19 ID:jNyd9Whv0
第15話
(球場の広さだとか演出の素晴らしさだとか、アメリカ野球って凄いな〜っていうのなかったですか?)
「デカイな!」って思いましたね、球場が。ハマスタとは比べ物にならないぐらい。ほんっっっと良い経験でしたね、これは。
(で、向こうの中学生たちと親善試合をいくつかやったと)
7、8試合やったんですけど、ま〜体がデカくて!「ぜーったい中学生じゃねえなこいつら!」っていう(笑)。
ヒゲは生えてるしねえ…そんな人間がゴロゴロいて。打てなかったですねー僕。
球速いし、ボールは重たいし、向こうのバッターは僕らと全然違うようなスイングするし。
「うわ〜世界は広いわ〜…」と思いましたね(笑)。
(あとグラウンドの内野側に芝生があるってのも初めての経験では?)
そうですね、なんか気持ちよかったですね〜芝がほんとに綺麗でね…。
(それこそ『ボールパーク』というようなねえ)
はい、「野球」がね、楽しく感じましたね。
(そこでは成績云々よりも『楽しむ』というカンジだったんですね?)
でもヒット一本か二本ぐらいしか打てなかったんで、面白くはなかったですけど(笑)。
(あと家に帰れば言葉が通じなくて苦労してという…笑)
まあ、「アイムハングリー」ぐらいしか言わなかったですけど(笑)。
(沢山食べました?アメリカの食事どうでした?)
やーでも美味しかったですよ、肉ばっかで。バーベキューばっかやってくれて。
朝ご飯はコーンフレークとかで、昼ご飯はハンバーガー食って、夜バーベキューやって…そんな生活で(笑)。
(違和感は無かったんですね、笑)
無かったですねー楽しかったです。
(中学校でそういう思い出があるって素晴らしいことですね)
そうですね〜、今考えると普通の人じゃできない経験だったんで、ほんとに良かったです。野球のお陰です。

※次回から高校入学編。幕田も最初は相模狙い。


16 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/14(月) 03:42:58 ID:3DL2GAFs0
>>13-14毎度読みづらい長文で申し訳ない…。

第16話
(いよいよ高校へ、となるわけですが、これだけの戦績・勲章持ってると色んな強豪校からお誘いありますよね)
誘いはありましたね。
(どういうかたちで東海大相模へ?)
うちの中本牧シニアが横浜高校と仲が良いというか、よく横浜高校に選手を出すチームだったんで、横浜高校から誘いがあって…。
渡辺監督からも話がありましたし、小倉部長って方からも話ありましたけど…。男子校なんでね、面白くないなあと思って。
横浜高校なら自分の学力で普通に行けたんで、折角行くなら自分の学力で入れない高校入った方がいいなあと。野球を使って(笑)。
まあ憧れもあったんでね、東海大相模に。それで自分から入りたいって言ってセレクション受けて。
東海大相模からはお誘いはなかったですね。当時の監督が『来てくれる人間しかとらない』っていう方針だったんで。

第17話
(横浜高校といえば幕田くん、彼も一緒にサンディエゴ行ってるんですか?)
はい、一緒に行きました。
(彼は中学時代違うチームでやってて、その時に知り合った?)
存在はもう昔から知ってました。頭抜けてたというか…足は速いし投げる球は凄いし。ピッチャーもやってたんですけど、
ノーコンでね、幕田が(笑)。冬とかにやったら手ぇ痛くて、つまったりしたら。「ヤなピッチャーだなー」って(笑)。
アメリカ遠征の時に幕田も『相模に行く』つってたんですけど、日本帰ってきてから
『頭が足りないから断られた('A`) 』って言って横浜高校へ行って。
で僕が相模にセレクション行ったのが9月の半ばだったんですけど、セレクションが夏休み中に終わってたんですよ!
それでもう遅くて…でも『もしかしたら採れるかもしれないから返事は待ってて』って監督に言われて。
そしたらたまたま桐蔭学園の方に一人行くことになって、その辞退者の枠が空いて僕が入れました。
補欠合格みたいな…ほんと監督に感謝してます。
(結果的に良かったですか、東海大相模に入って)
良かったですね、充実してました。学校も楽しいし、野球やる環境も良かったですし…。出会った人間がいい人ばっかだったんでね。


17 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/14(月) 03:43:53 ID:3DL2GAFs0
第18話
相模の野球部に入った時は同級生25人ぐらいで、各学年25人ずつぐらい、そんなに辞めないですねここは。
僕が一年生の時は3年生が弱くて、そのせいか入学式の前に背番号3番渡されて…。
(は?!へ?!一年生になる前に?)
はい…ですね…。でも学校側が『入学式もやってない、始業式も始まってないのに試合出しちゃダメだ!』って。
(凄い期待の大きさが窺えるじゃないですか…いきなりレギュラーでしょ?)
いやでも、自分もなんかイヤでしたよ。やっぱ高校って特別なとこじゃないですか。先輩もいるし、雑用とかもありますし…。
なのに番号もらうとそういうものが免除されちゃうんで。そうすると同級生に迷惑かけたりするじゃないですか。
そういう複雑な部分もありました。そこまで嬉しいとも思わなかったですし、いいのかなあ…ってカンジだったんで。

第19話
春の大会に続き夏の大会も初戦で負けちゃって、あっという間に新規(2年生と1年生)の練習が始まって。
(東海大相模の歴史で県大会初戦敗退はなかなかないことでしょ)
聞かなかったですね…。その代わり新チームの練習が早い段階から出来ました。
新チームではサードなので5番もらいました。1年の秋の大会からはレギュラーとして出てたので。打順も5番。
高校野球やってるからには甲子園は憧れだし、出たかったですね。
(ただ神奈川は名門校がいっぱいで出るのが大変でしょ。横浜、横浜商業、桐蔭、昌さんのとことか…)
秋しかチャンスがないなと思いましたね。秋の方が出やすいというか、関東大会行きやすいんで。
そこである程度の成績を残せばセンバツされて春の大会に出れるかもしれないから。

第20話
新チームはレベルが高くバランスが良かったですね、1〜9番までそういう適性のバッターが揃っていたので。
それで秋の神奈川県大会は準優勝。で関東大会に進みまた準優勝。
(ということは当然センバツはゲットと。そして春のセンバツですけど迎えるまではドキドキしてました?)
そうですね、秋終わって、冬の練習やって…そしたら年越えてすぐに阪神大震災があり………。

※次回から甲子園編。高校生ドメを探す高校生森野。


20 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/15(火) 02:09:44 ID:32B3zuqM0
第21話
一体どうなっちゃうんだろうと思って…「甲子園」がなくなっちゃうのかなあと…。色々起きた年でした。※地下鉄サリンもこの年
(でも何とか開催することになって…あの時の入場行進曲は?)
SMAPの『がんばりましょう』ですね。震災の後なので。
行進の前に今の一塁側のブルペンで待機するんですけど、後々うちに入ってる選手も沢山いました。
福留さん筆頭に、荒木さん・同期の宮越…プロの選手は結構その場所にはいましたね。
福留さんはその頃から注目の的でした。控えてる時「どれだどれだ?!どんな奴だ?!」と探したり(笑)。
グラウンド行進する時はキョロキョロしてました。「甲子園てこんなとこなんだな〜!」って。
なんか凄い大きく見えましたね〜。バックスクリーンも高く見えたり。
(そして甲子園大会では5番サードで出場)
一回戦は県立岐阜商業に大勝。5打数3安打。気持ちよかったですね、こんなに打てるとは思わなかったし。

第22話
(二回戦でこの大会で優勝する観音寺中央高校に敗れるわけですね)
このチームは凄いなというカンジがしましたね、サードに守ってて怖かったです。打球の速さが全然違うなっていう。
(それまでアメリカの野球も経験してるし、いっぱい強いチームとあたってても?)
そうですね、試合中に「こりゃ勝てないかもな」と思いました。その通りに負けて…完封負けで6対0。
ダブルプレーの記録だけは残ってます…両チーム合わせて7つ。今年(2006年)の日本シリーズみたいだった…。(久野爆笑)
僕もヒット打てなくて…気がついたらスコアボードに7回まで0がついてたんで。そのくらいあっという間の負け方でしたね…。

第23話
涙は出なかったですね、まだ2年生だったし。でも甲子園の土は持って帰ってきました、もう二度と行けないと思ったので。
最初で最後だと思って。神奈川で勝ち抜くのはホント大変だなと思いましたし…。
春に続き夏も出るぞ、と思ったら県大会の五回戦で横浜高校に当たってしまい案の定負けてしまいました。
(ただまだ2年生なんで、あとは春のセンバツと、3年の夏の2回チャンスが…)
新チームで秋の県大会を勝ち進んで優勝して、関東大会にいったんですけど初戦敗退。センバツはあっさり遠のいて…。


21 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/15(火) 02:10:36 ID:32B3zuqM0
第24話
関東大会まで出れれば甲子園行けると思ったんですよ、そーしたら足元をすくわれて…。
太田市立商業(群馬)に何故か負けちゃってですねぇ…。エース温存したわけでもないのに。
(あとは3年夏の甲子園しかないから、それに向けて猛練習と。3年の春からサードからショートへ?)
コーチが『ショートの方がプロに入る時評価あがるから』等の理由で。
僕は意識してないのに何故かコーチが勝手にプロを意識してコンバートしました。実際スカウトの方も来てたからかなあと。

第25話
2年生ぐらいからスカウトの方に見られてるのに気づきましたね。ショートは難しいですね細かいプレーも多いし。
セカンドとサードしかやったことがなかったので。僕はどっちかといったら選手を引っ張るタイプではないので、
中心に動くショートは凄く苦労した。引っ張られた方が楽だなあ〜と(笑)。
その頃からレフトにホームランを打つのを覚えたんです。レフトに飛ばすのはこんなに気持ちいいものなのかと。
引っ張ってホームランは誰でもできるけど、逆方向に打てるのは良い打ち方をしてるから出るものなので。
その辺の考え方を変えてから一気にホームランが増えましたね。センター方向、ライト方向にも。
3年生になるまでは通算20本ぐらいしか打ってなかったのが、3年生の4月〜7月までで20本打てた。
…気づくの遅かったですけどね…(苦笑)。

第26話
夏の大会前に絶好調を迎えたんですけど、まあ自分でも怖いくらいでしたね。毎試合ホームランが打てるし。
でもドラゴンズのスカウトの人に『あんまり打ちすぎるな…』と言われました。採ろうと思ったらしくて。
(他に知れ渡ると困るし、こっそり大事に抱えたかったからと…笑)
そして最後の夏の県大会、準々決勝でまたも横浜高校に負けてしまったんですよね…。2年生の時に続いて。
もうほんっっっとにね、必ず横浜高校なんですよ。お陰さまで横浜高校嫌いになりましたけど…(苦笑)。
この時中学時代から知ってる仲の横浜高校の幕田に、バットだけでも甲子園に持って行って欲しいなと思っていたら
あいつも『欲しい』と言ってくれたので、バットを託しました。

※次回からドラフト〜入団1年目編。「また幕田か!」、初めてイチローさんを見た日の思い出、などなど。

28 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/17(木) 01:18:41 ID:6Th27EwB0
>>27うおお有難う。仕事帰ってきてから数話分聴き直してガーッと書き起こし、の流れの為なかなかスムーズに進めなくてすんません。
あと全然関係ないけど今度のサンドラのブルブルの輪に森野が出るらしい。

第27話
(約束どおり幕田くんはバットを甲子園に連れてってくれたんですね。で高校野球生活は終わると)
あっという間ですね。長いようで短かったですね、高校野球は。
負けてからは、寮を出なきゃいけないので片付けに行って、夏休みなので車の免許を取りに行ったり、
髪を伸ばしたり、あちこち行ったり、普通の高校生がやるようなことをやりましたね。
ドラフトの話もあったので、夏休み中に東海大学の方に進学しないと断りに行きました。
原監督のお父さんにあたる原貢さんにも「プロ一本で行きます」と挨拶しに行って…。
(これだけの戦力ですから、大学側の原監督としては『残念だ〜』ということなんでしょうね)
そうですね、それは言われましたけど、自分の進路なんでね、決めさせてもらって。
ドラフトで指名されなかったらされなかったで、社会人に行こうと思っていたので心配はしてなかったです。

第28話
スカウトは中日がずーっと来てくれてました。
でも高校の監督が『3位以内に指名がないとプロに行かせない』と言っていたので心配でしたね。
(『うちの大事な子になんという評価をするのか!』と。4位以下ならダメだと)
当日にスカウトから『2位でいくから』と電話がきまして。でも実際駆け引きとかもあるからわかんないじゃないですか。
その日は学校があったんですけど、ドラフトの時間になったら引き上げさせてもらって校長室でテレビをずーっと見てました。
何故かねえ、クラスメイトたちも一緒に見てたんですよ、授業中断して(笑)。休み時間でもないのに(笑)。
ドキドキして見てたら指名されて、その瞬間は頭の中が真っ白になりましたね。何をしていいのかもわかんないしですし。
予定通りの2位で「あー良かったな〜」とホッとしましたね。予定通りの中日でしたし。


29 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/17(木) 01:19:19 ID:6Th27EwB0
第29話
セ・リーグに行きたかったし、近場の在京球団だと甘えてしまうと思ったので、遠からず近からずの名古屋は丁度良かったです。
入りたい球団だったので自分としては万々歳。一番不安だったのは名古屋に行って大人の生活ができるかどうかだったんですね。
高校時代から寮生活で親元を離れていたので、ホームシックにはかからなかったです。
でも自分は高校生で、周りは年上ばっかりで気疲れしますよね…。

第30話
(同じドラフトで幕田くんが3位で指名されましたよね)
驚きましたね!まさか3位で入ってくるとは思ってなかったですし。阪神行くとか聞いてたんで。
それで蓋を開けてみたらドラゴンズだとか言うから…。「またこいつとやんのか!」と思った(笑)。
でも昔から良い選手だと思ってたし、チームメイトとして見てみたいなってのはありました。今まで外からしか見てなかったから、
どんだけ足が速いとか肩が強いとかわかんなかったんで。…やっぱデカかったですねあいつはね…(笑)。
(それまでチームは違っても仲良かったし、同じ寮に入ったのは助けられたというか、良かったんじゃないですか?)
そうですね、ホントに「ホッとできる場所」があったというかね。同期に気楽に話せる高校生が4人いたのも良かったです。

第31話
高校3年で参加した初のプロのキャンプは、何故か『早く帰れ』とか言われて戸惑いましたね。
なかなかバッティング練習もさせてくれなくて「こんなんであがっていいのかなあ?」と物足りなかった。
でも何故か2月終わりのオープン戦に一回出させてもらって、そこで初めてイチローさんというものを見まして…。
「あ〜プロ野球ってこうなんだ〜!」ってのがわかりましたね。
「プロ野球」というものをスタンドからしか見たこと無かったのに、イチローさんと一緒の目線でボールを追っかけてるっていう…。
感動で目が見開きっぱなしでボーッとしてました。でも覚えてるんですよね、そういうことは。
(『あのイチローさんと一緒にいるんだ〜、同じ空気吸ってるんだ〜』みたいなことですかね)
そうですね…それが一年目のキャンプの一番の思い出ですね。

※次回一軍初舞台編。初めてのナイターは「眠かった」、ジュニアオールスターで自作自演、などなど。


38 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/18(金) 03:36:03 ID:A/yfvDmo0
第32話
開幕してファームの試合に出たんですけど、「プロってやっぱり凄いなあ」と思い知らされて。
僕が一番苦労したというか、最初に「あれ?!」と思ったのは低めの球の見極めですね。
プロは低めの球が凄く伸びるんですよ。「低い、ボールだ」と思った球が入ってくる。低めでこんなに伸びるのかと。
高校レベルだとそれがボールになるんだけど。そうすると今度は低めの球を振りはじめてしまうんですよ、ボール球を。
その辺の見極めで戸惑いましたね、「ストライクゾーン」というもので。

第33話
(ファームでこれだから一軍なんかもっと凄いんだろうなと)
球もまだまだ速いんだろうし、変化球ももっと曲がるんだろうなと…「凄いな!」と思いましたね。
実際自信なくなりましたけど、まだできるかな〜という感覚もあって。
でもプロの速く曲がる球に対応しようと必死になってたら、絶好調だった高校の頃のバッティングフォームが崩れてた。
自分というものを見失って遠回りしてましたね。
(自分でなんか日記とか書いてました?)
その頃は全然書いてないですね。フォームのチェックとかはしてたんですけど、崩れは自分自身ではなかなか気づかないんですよ。
それでスカウトの方に聞いたら『良い時と全然違うぞ』と。高校の一番良い時を見てるわけですから。
でも良い時のビデオを何回見ても、変なクセがつくとなかなか戻らないんですよ。

第34話
1年目の6月に一軍呼ばれたけど、丁度悩み始めた頃だったので結果も出せずじまいでしたね。
一軍に呼ばれる前日にファームで3三振なのに「なんで僕が呼ばれたのかな」と。案の定打てないですよね。
今でも忘れられないですけど、ファームで福岡→神戸に移動してる最中に『広島に来い』とお呼びがかかって。
初めての一軍戦が広島戦、ベンチで星野監督はそこまでは怒鳴ってはなかったです。
立石コーチがずっと後ろにいてくれて、耳を引っ張られたりお茶目なことをしてくれたんで楽しく過ごせました。
(リラックスさせてくれてたんですね)
そうですね、まあそれでも眠かったですね…ナイターってのが初めての経験だったので(笑)。
(オールスター前に高卒ルーキーが一軍に上がったのは立浪さん以来)
後で知りました、でもチーム状況が良くなかったからかなと(この時一軍は最下位)。


39 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/18(金) 03:36:47 ID:A/yfvDmo0
第35話
(一軍の初舞台が広島市民球場。やはりナイターは全然違う?)
違いますね〜、またテレビで見てた選手たちが目の前でプレーしてて…、それがもう目に焼きついてます。
(前田さんいるわ江藤さんいるわ金本さんいるわ…笑)
江藤さんの全盛期でねえ…。ベンチでも緊張しすぎて何していいのかわかららなかったです。
『動け』と言われても何を動かせばいいのかわからないし、『行くぞ』と言われても「どこ行くのかなあ?」と(笑)。
2試合出させてもらって、ショートの守備から入って打席に立ちました。
一回江藤さんの芯に当たったドライブかかった打球が飛んできたけど、速い速い…。いや〜怖かったですねホントに。
守ってて怖かったですもんね。いやー怖かったホント怖かった…(※この辺怖いを連発)。「飛んでくるなよ!」と思いましたもん。
驚いて捕りましたもんね、捕ったというよりよけたらグラブに入ったっていうカンジで(笑)。
(打席の方は2打席2三振と)
初打席はルーキーの黒田さんで、凄い速い球で空振り三振ですね。
二打席目は大野豊さんで、僕と歳が20ぐらい違ったのかな(笑)。変化球ばかり、一球も真っ直ぐ投げなくて。
「プロってこういうものなのか…簡単には真っ直ぐなんて投げてこないんだなあ」と。

第36話
(三塁側のベンチに戻る時どんな気持ちでした?)
悔しいな、打ちたかったなという気持ちでしたけど、開き直ってやってましたね。
結局3日間一軍体験してファームに逆戻りでしたけど、自分でも当然だな、仕方ないあと。
でも今度上がった時はしがみついてでもナゴヤドームでやりたい!と思いましたね。明るいところでやりたいなと。
(その後ファームで結果出してジュニアオールスターに呼ばれたんですね。地元の相模原市で開催)
引き分けの試合だったんですけど、タイムリーヒット打ったの僕だけで、タイムリーエラーしたのも僕だけだったんですよ(苦笑)。
それで賞を貰えるはずが貰えなくなって…僕のお陰で引き分けになったので(苦笑)。
何も良い思い出ないですね。あのエラーは高くつきました…(笑)。

※次回初ホームラン編。宝物のバット登場、立浪さんとの不思議な縁、などなど。


53 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/20(日) 01:30:58 ID:pwMgacMx0
家帰る度息子に「(HR打ったらもらえる)シャオロンは?シャオロンは?」と言われるのが痛いって話にワロタ

第37話
8月終わりに再び一軍に呼ばれたんですけど、この時は調子も良くて。一軍の方も優勝がなくなって若手に切り替えてたんでね。
寮にいたら夜中の11時頃電話がかかってきて『明日から行くぞ』って言われて。「やっとチャンス来たな〜」って。
(それがナゴヤドームのヤクルト戦、初めてのスタメンですね)
緊張しましたね、8番ショートスタメンで。スコアボードに名前があってね。
その日は一日中頭の中が真っ白で。常にドキドキしてて周りの人が何か言ってくれてても頭に入ってこない。
(1点を追う3回の第一打席…)
投手のブロスという外国人がデカいんですよ、体が。「こんな奴打てないよ〜…」と思ったんですけど、
とにかく初球思い切り振ろうと思ってスライダーをファールして。
二球目また同じスライダーがちょっと甘くきたんですよ、で、振ったらホームランですね。(ここで当時のラジオ実況入る)
(プロ初ヒットがホームラン!手ごたえありました?)
いや〜あまり覚えてないんですよね。どこら辺に打ったかな…。

第38話
打った瞬間は夢中で走っていて、二塁の手前あたりでようやく審判が手を回してるの見て「…え?」と気づきました。
「 入 っ ち ゃ っ た 」が実感ですね。興奮しすぎて監督と手を交わしたことも全く覚えてない。
真っっっっ白もいいとこですね。ホント覚えてない、なんっっっにも覚えてない(笑)。あまりにも舞い上がっちゃって…。
(この時のバットが実は自分のバットじゃない?)
前日に阿久比で試合をしてたんですけど、バスにバットを乗っけたまんまで忘れてきちゃって…。
バットがなきゃ一軍に行けない!と思って、寮の部屋の棚に大事に飾ってあった立浪さんにもらったバットを…。
「これを出さなきゃいけないのか…(ため息)」と。
(本当は、大事に大事に宝物としてとっておくつもりだったんですか)
はい、もう飾ってあったんで。春キャンプの時コーチに『欲しかったら自分でもらってこい』と言われてもらいに行ったんですけど…。
まさかそのバット使ってホームラン打つとは思ってなかったですね。


56 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/20(日) 12:10:25 ID:KdLvy+kI0
>>53-54
乙です。毎回、楽しみにしてます。
>バッティングコーチの高畑さんが何故か折れたまま持っていて、
これ、高畠導宏さんでは(プロ野球での登録名は高畠康真)。
今のウチの監督がロッテ時代、打撃コーチだった方です。
中日で打撃コーチをしてたのが1995〜1997年、私小説が1997年の話だから
もしやと思って。

遂に暗黒編かあ、プロの壁が森野に立ちはだかるのか…


60 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/21(月) 00:21:04 ID:qYFbnMz40
>>56人名・組織名は調べてから書き起こししてたけど完っ全に忘れてた…訂正有難うです。
にしても英二と絡むと森野のボケっぷりが更に輝きを増して面白すぎる。

第42話
(手元の資料見ると、2年目3年目、一軍出場全く無し…。何がありました?)
2年目は3月終わりの開幕前のオープン戦に、近鉄の左投手からデッドボールを受け骨折しまして…。
(…森野さんね、調べてみると、その後も何回か骨折ありますね…)
ありますね、プロに入って骨折は合計3回あるんで。その記念すべき第一回がこの2年目の春。
その左投手に当てられてから左投手が苦手になり、腰がひけてしまうバッティングがずーっと続いて…。
左投手に対する怖さが全然抜けなくて、「また骨折したくない」「痛い思いしたくない」と…ほんと酷い状態でしたね。
高校時代もプロ1年目も投手の右左は特に気にしなかったのに、このデッドボール一回で痛い思いをしたのが相当響いた。
精神的にも弱すぎましたね、今思うと。でもその時期にはわからなくて。

第43話
(実は2、3年目は森野さんにとって非常に重い二年間だったというか…)
骨折してから試合に出れない、練習も出来ない、という状況が当たり前になってのんびり怪我を治しすぎて。
今思うと3ヵ月もかかるような怪我じゃなかったんですけど、それをゆっくり治してたら半年すぎちゃって…。
前半戦がもう終わる頃、ちょこちょこ二軍の試合に出始めるんですけど、いい結果も出ないですよね。
「もうダメかなあ…」と全てをマイナスにマイナスにしか考えられなくなり…。
努力するための心の準備もできなくなって。自暴自棄というか、自分自身に甘えが凄いありましたね。
その半年は何も得るものが無くて勿体無かったですね。それに気づくのはまだまだ先なんですけど。
ファームの首脳陣もその辺の内面を感じ取ってか、ファームの試合もスタメンではあんまり出してもらえず。
そんな調子で一年終わってしまい、3年目にむけての秋のキャンプ、何をどうすればいいのかわからなくなる。
自分に何が足りないのかわからないし、何から始めていいのかもわからないという…。ただ漫然と練習をやってて。


61 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/21(月) 00:21:37 ID:qYFbnMz40
第44話
3年目に入って去年の反省をするんですけど、春先やはり全然調子がよくなく「やっぱりダメだなあ…」と。
その時僕が入団する時お世話になったスカウトの石井さんが、バッティングコーチとして入ってきましてですね、
僕にずーーーっとつきっきりで、一緒に練習してくれまして。
(石井さんはもう見るに見かねて、というカンジだったんでしょうか)
そうですね、その年たまたま石井さんが入ってきてくれたので、自分にとっては本当にめぐり合わせが良かったというかね…。
半年間石井さんはずーっと我慢して我慢して、僕につきっきりで練習を教えてくれて、僕も「もっとやんなきゃいけないな」と。
スカウトしてくれた石井さんに『来年ダメだったらクビになるぞ』と言われてたらね、
「ホント終わっちゃうな…」と思いましたし。
それでもそんなすぐにはなかなか技術は上がってこないんで、そっから半年間しっかり練習をして…。

第45話
(この年ジョンボム選手が来て背番号が7から8に)
前半戦終わりの時に変えてくれと言われて…「やだな」と思ったけどこっちは受け入れるしかないんで。
(2年目と違ってファームでもスタメンで出れるようになりましたね)
後半戦になると井端さんとかが一軍に少しずつ行くようになったので、僕も二軍にスタメンで出れるようになって。
ちょっとずつ自信が取り戻せるようになりました。同期の小山とかが一軍に行っていたのも刺激になったし。
(この3年目の99年は一軍は11年ぶり5回目のリーグ優勝。どんな思いで見てました?)
何故かその時はあんまり悔しさもなく…普通にテレビで見て「あ、優勝したんだ〜」と。
当時はプロ野球の優勝ってのがよくわかんなかったんで。優勝争いの苦しさも、勝つ苦しみも。
だから「良かったな〜」というカンジでしたね。優勝の輪に加われなかったことにもあまり悔しさを感じれなくなってました。


62 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/21(月) 00:22:19 ID:qYFbnMz40
第46話
僕にとってはこの二年間は大事な二年間ですね。「野球を辞めてもいい」という気持ちを持った二年間だったんで…。
(え、そんな気持ちにもなったんですか?)
はい、もうね、「ダメかな」っていう気持ちになってたんで、最後の方は。
野球やりたいんだけど、諦めてしまってたというか…自分自身に自信がないというか。
(それいつぐらいの時ですか…?)
3年目の5月ぐらい…(石井さんに指導受ける前の段階ですか)。野球に対する甘え、自分に対する甘えをその頃まで持ってましたね。
(でも石井コーチに指導され、マンツーマンでアドバイスも受け、徐々に森野さんも変わっていってと…)
そうですね、それが3年目の後半で、二軍の仁村徹監督にも厳しくされ、石井さんにつきっきりで教えてもらい、
周りからは厳しい目で見られ…だけどそれが逆に嬉しかったというのがあって。
「見てくれている」というのが嬉しかったんで…これはやらなきゃいけないなという気持ちになりましたね。

第47話
一軍の優勝も決まり、秋のキャンプを迎えた時に、「来年は絶対に頑張ってやりたいな」と。
じゃあ何をやるんだといったら「僕はバッティングしかないな」と、やっとそこで気づいたんで。
それでバッティングをしっかりと練習して…。とにかくバッティングを何とかアピールしたいなあと。
(ただ3年目の秋季キャンプ、主力メンバーは岡山で、その中に入れなかったと)
名古屋に残留してる人間が少なくて、石井さんもこっちにいて。なのでホント好きなことが出来ました。
ずーっとね、辛いバッティング練習なんですけど、楽しく出来るというか。自分のやりたいように打ってたんで。
そういう意味ではそのキャンプは自分のためになったな〜というカンジでしたね。
とにかく二軍で結果を出すことを目標にしてました。クビになるかどうかの瀬戸際だと思ってましたし。
(その時点で『お前自由契約だ』と言われてもおかしくないと自分で思ってました?)
思ってましたね、はい。

※次回から一軍と二軍行ったり来たり編。『ファーム行け』と言われるたび自分を責めまくって夜眠れなくなる、などなど。


66 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/22(火) 01:20:10 ID:kXbfLKzS0
>>63大体基本は3分位のコーナーで、森野がノッて喋ると長くなる(例:アメリカ編)てな具合です。

第48話
4年目の2000年はファームの読谷でスタートで、今年は絶対ファームで結果を残すという目標があったんで、
毎日毎日色んなこと工夫して練習してました。「ティーあげてください」「見てください」とか言えるようになった年でもありました。
バッティングが僕の長所でありウリなので重点的にやって、あと早出で走塁練習やってましたね。
『とにかくリードの幅を覚えとけ。こんぐらい出ろ』って言われて。毎回必ず下を見なくても、正確に出れる感覚を身につけるように。
走るのは得意じゃないんですけど、そのぐらいリードは大事だぞって言われて。基本的なレベルアップをしようと。

第49話
そしてファームで開幕迎えて、2000年はファームで優勝した年だったんですけど、良い時と悪い時の波が凄くあって。
それでもなんとかファームで打てるというか、やっていけるというカンジでしたね。
(そして遂に8月2日、3年ぶりの一軍登録)
4年目にしてフレッシュオールスターに出まして。4年目なんでフレッシュじゃないんですけどね(笑)。
で出さしてもらってホームランも打てて、賞も頂いて、それがアピールになったみたいで。
そしたら7月31日ぐらいに福留さんが阪神戦で骨折して、それで控えとしてすぐに一軍に呼ばれて。
まさか福留さんが骨折するなんて思ってなかったんで、上がった時にも「何が起こるかわかんないなあ…」と。
(そういう偶然もそうですけど、石井さんのような人との出会いとか、プロの世界ってそういうのが野球人生左右しますね)

第50話
(8月4日今シーズン初スタメン。横浜戦、初打席でレフト前タイムリー。結構初物強いんじゃないですか?)
いや〜わかんないんですけど…打てるとも思ってなかったんですけどね、斎藤隆さんだったんですけど。キャッチャー谷繁さんで。
外のスライダー谷繁さん好きだったんで、狙って待ってました(笑)。
横浜に野球をしに帰るのも久しぶりで、両親も見に来てたんで、ほんと嬉しかったですね。
翌日8月5日にはホームランも打ったんですけど、母親の誕生日だったんで…この日も両親見に来てて喜んでましたけど、自分自身が一番嬉しかったですね。


67 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/22(火) 01:22:59 ID:kXbfLKzS0
第51話
(この年は28試合で45打数7安打。スタメンでは9試合。自信ついたシーズンでした?)
いや、打率が1割5分ぐらいしかなかったんで…。自分の中でも全く打てないイメージもあったし…。三振が多かったんですその頃は。
まだ粗さがあったんで、そういう部分をなくしたいなと。とにかくファームでもっともっと自信つけて上に上がんなきゃなというシーズンでしたね。
(そして2001年の春のキャンプ、いよいよ一軍の北谷に呼ばれてますね)
読谷と北谷では全然雰囲気が違いましたね、硬いというかね。ピリッとしてて。

第52話
(この年波留選手が横浜から来て背番号が16に。また変えられるわけですね…)
はい(笑)。そしてキャンプ終わって、開幕一軍ならず、まあどう考えてもならなかったんですけど(笑)。
開幕前に自分の中でも開幕28人を考えて、人間を数えていくわけですよ、その頃まだまだ僕は下の方で。
じゃあ僕は何番目だろ?と思って自分の順位を数えてたら、35番目とか…こりゃ絶対入れないなと(笑)。
その頃内野手が全く入ってきてなかったんで、僕の下に思えるのが誰もいなくて…。みんな投手か外野手で。
僕5年目ぐらいまでずーっと自分でグラウンド整備してましたからね…いないんですよ…先輩しか(寂しげに笑)。
(この年は5月1日に一軍入りしてますね)
でも開幕にいれなかったのが悔しいという気持ちがあったんで…。
(あ〜そういう気持ちが出始めたんですね!おっとりしてた森野さんが!)
代打が多かったんですけど、その年は一軍に呼ばれては落とされ、呼ばれては落とされで…。
(それってどんな気持ちなんですか?)
上がる時の嬉しさはありますけど、『じゃファーム行ってくれ』って言われた時の「え〜っ」ていうね…。
天国と地獄ですよね、一軍の皆さんとお別れして、一人寂しく自分で荷物を持って…。
「恥ずかしい」気持ちになりますよ、大荷物を持って汗かきながら階段降りたり大変ですからね。「俺何やってんだろ…」ていう。
移動の時に考えるんですよ、「あーしときゃ良かった、こーしときゃ良かった」って。
試合終わってすぐに二軍行きを言われるんですけど、夜眠れなくなって…。移動の新幹線とかでも考えて…。


68 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/22(火) 01:26:04 ID:kXbfLKzS0
第53話
プレーの中での反省とか後悔が多いですね、「もっと思いっきり振っときゃよかった」とか「初球振っときゃよかった」とか。
「1、2、3で振れよー!」とか「何を考えてたんだよー!」とか自分に言い聞かせたり。
見逃し三振は後悔する時としない時があるんですよ、最後の球を見逃すまでのいきさつですよね。
2ストライクはどういう風にとられたのかっていう。打てる球を振ってるのか、ボール球を振らされてるのか。
「あれ見逃せたじゃねーかよー」とか「もっと甘い球思いっきり打ちにいきゃ良かったじゃん三振すんなら!」とか。
(自分を責めるわけですね…そして夜眠れずと。逆に今度呼ばれる時は?今度こそ!みたいな?)
また一軍て緊張感が違うんでね、雰囲気にのまれちゃうんですよね…、気負いもあるし(苦笑)。
(そういうのを繰り返し、結局5年目のシーズンは58打数11安打)
また1割台なんですけど…でもこの年はファームでは凄い打ってるわけですよ、3割8分ぐらい。
それなのに一軍では打てないんですよ。率がいいと気楽に打てるんですけど、一軍行くとそれが0に戻るし…。
神宮が一番ツライんですよ、打率が出っぱなしですから。あれヤなんですよね〜(苦笑)。

第54話
(浜松で秋季キャンプ行って、6年目の2002年、開幕はファームなんですね)
なぜかね〜開幕一軍にいないのが普通になってしまってて…「あ゛〜今年も入れなかったか〜」みたいな(苦笑)。
(紅白戦とかオープン戦でも目立った活躍はしてはいない?)
僕その時期ほんといっつもヒドイんで…また紅白戦が苦手なんですよ。自分のチームのピッチャーとやるのが。
(人がよすぎるんじゃないですか?笑)
かもしんないですね(笑)。あんまりねえ、そこで「打とう打とう」という気持ちにならないんすよね。
(投げてるのがチームメイトだし、向かっていくという気持ちになれないと・笑)
だからアピールとかできてないですね。なので28人から外れても仕方ないなと。
(でも4月終わりに一軍に上がると)
すぐにスタメンで2試合ぐらい出て、ちゃんと結果が残せたんで…初スタメンで猛打賞かなんかしたんですけど、その年は。

※次回から結婚を機にちょっと変わる?編。憲伸の試合で大エラー&3ラン、嫁との馴れ初めは覚えていない、などなど。


70 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/23(水) 01:52:10 ID:P5N9h7ws0
>>69名古屋は胃腸風邪が猛威を振るってるようなのでお気をつけて。
寒がりなのかむっくむくに着込んだ森野の姿を堪能してきてくだされ。

第55話 ※文面では伝わり辛いですが、かなり恥ずかしい思い出らしく、語る森野のテンションが常時おかしい回
(ホッジスからシーズン初ヒットが3ランホームランと)
エラーした日っすね(即答)。川上さん投げてたんすよね。ノーアウト一塁の大事なところで。まだ0対0で。
トンネルっすよ…神宮で。その時セカンドで「はいゲッツー」と思ったらトンネルですよ!まさかの!いきなり!
(イージーなボールですか?笑)
正面す…(苦笑)。一三塁になって、もう点入ると思うじゃないですか!したら憲伸さんが頑張ってくれてですね、0点っすよ!
点入らず!その次の回に打席が回ってきて、今度こっちが一三塁で。でホームランでしたね…。
(あら〜、カッコイイじゃないすかそれ)
かっこよくないですよ、恥ずかしいですよ、だってトンネルの方のショックのがデカイんすよ!
もうね何と言っていいのか…嬉しいのもあるし迷惑かけたってのもあるし…。
(川上さんから何か言われました?怒られ褒められみたいな・笑)
いや怒られはないですけど…そりゃ怒ってますよ内心!絶対に(笑)!
ほんとあん時は「しまった〜!」っていうかね、顔上げらんなかったですね、穴があったら入りたかった…。
エラーん中でもいっちばん酷いエラーですね。その試合勝ったんですけど…勝ったのはいいんですけどぉ(苦笑)!
そのエラーだけはね、ずーーーっと考えましたね…。なーんか一つ必ず大事なとこでエラーすんですよね…昌さんの時みたいにね…。
(じゃあダイヤモンド一周する時も『これで川上さんに許してもらえる』という気持ちだった?笑)
いや…もうなんかね、何が何だかわかんなくて…ぐちゃぐちゃですよ頭ん中そん時は(笑)。エラーの気持ちが強かったですもん。
ショックですよエラーするってホントショックですよ。三振するよりもショックですから、人に迷惑かけてんですからね。
ましてや二つアウト取れるところを…(笑)。ゲッツーがノーアウト一三塁ですからね、みんなビックリしますよそりゃ…っ!


71 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/23(水) 01:58:32 ID:P5N9h7ws0
第56話
(でもこの年もシーズン初ヒットが初HR。あとランナー置いてのHRはこれが始めて?今までソロだったけど。これ嬉しいでしょ?)
…っ…エラーがね…(苦笑)。邪魔してるんですよね…。嬉しくないです、そこまで考えられないですもん。余裕なくなっちゃうんで。
(逆にホームラン打つ前の打席ってどうだったんですか?エラーしてるだけに『ここでなんとかしなきゃ!』みたいな?)
だから「なんとかしなきゃ!」と思って必死ですよ。「変えられなくてよかったな」じゃなくて、普通だったら変えられるのに
打席に立たせてくれてるわけですよ。「打たなきゃ!」と思って。全部思いっきり振ろうと思って行ってるわけじゃないですか。
で、たまたま糞ボールですよね、高めの。それを打ったんで…。…もう自分でも何がなんだかわかんないす…(笑)。
(それからこの年のトピックスとして我々としても忘れられないのは、あの工藤投手からのレフトスタンドへのホームラン。
 所謂左対左という中で、こんなホームランが打てるのか、森野は、という意識が物凄く…ファンもそうだったと思うんですけど)
あの広いナゴヤドームで、なかなか入らなかった逆方向へ力強い打球がいったんで。外の高め真っ直ぐを叩き潰したというカンジのHRでした。

第57話
(今まで沢山打ってきたホームランの中でも忘れられないホームラン?)
そうですね、逆方向に打って…完璧で…打ち方も良くて…それもピッチャーが工藤さんで…そういう満足感はありましたね。
(そういう時はご両親とは後で電話でやりとりとかするんですか?)
しますね、左ピッチャーから打ったっていうのがみんな嬉しかったみたいで。『これで試合結構出れるんじゃないか?』って。
(それと守備では主にこの年はセカンドやってるんですね。元々サードでレフトやったりもあるけど、セカンドはどうですか?)
いや、難しかったですよ。去年もやったんですけど未だに難しいなと思いましたね。案外ね、疲れるんですよね、セカンドって。
(そしてこの6年目2002年の最終戦の阪神戦で、またデッドボールで右手首骨折と…全治4週間、でもシーズンの最後ですからね)
そうですね、みんながキューバに行かなきゃいけないって時で、僕骨折のお陰で行かなくてすんd(わざとですか?)いや…っ(笑)。


72 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/23(水) 02:01:02 ID:P5N9h7ws0
第58話
(で、しばらくリハビリと)
一ヶ月ギブスをして、12月中ずーっとリハビリしてました。
(そして、ここで人生の大きなイベント、12月22日幼馴染の美和子さんと結婚。ちょっと馴れ初めなんか教えてください)
馴れ初めですか?…特にないんですけど…。
まあ小学校中学校から一緒だったんで…普通に会話を…世間話じゃないですけど(笑)、連絡取り合ってた仲で。
プロに入ってもずーっと友達でいてですね。
(お友達ぐらいのカンジだったんですか?)
はい、それもね会う機会もないですし、話すだけだったんですけど。
で一度、会って遊びに行った時に…何故か…つき合う方向になってですね…。
(何故かってのがよくわからないんですが…)
いや、最初会って行ったのが競馬場だったんですよ、地方競馬なんですけど。川崎競馬に。
で僕が負けて…そのショックしか無かったんですけど(笑)。だけどそれからですね、結構会うようになって。
(所謂幼馴染で、普通のお友達みたいな感覚からやがて恋愛感情になるにはどのあたりからそうなるんですか?)
わかんないんですよそれがね…いつなったかのかもわかんないですし…特に何かがあったわけでもなく自然と…。
なんかあったかな…いやないですねよく覚えてないですねそこは。
(横浜でゲームがある時はよく試合を見に来たり?)
来ないです。結婚する前観に来たのは一試合だけですね。結婚する年に。
(プロポーズは?幼馴染だと普通の人以上にすっごい照れくさくないですか?)
ん〜わかんないですけども…そんな固いようなプロポーズじゃなかったと思うんですけど…。
それさえもハッキリと覚えてないぐらいの言葉…だったと思うんですよね…わかんないんすよホントに。
(…じゃあホントの幼馴染が、友達からいつの間にか恋愛感情になり、いつの間にか結婚しましょうになってたと)
そうですね、そのまんまですね、しぜ〜〜〜んに行きましたね。


73 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/23(水) 02:02:33 ID:P5N9h7ws0
第59話
(結婚すると『こいつ食わしていかなきゃ』みたいな、『もっとやらなきゃ』みたいな欲は出てきてませんか?)
当然そういう欲はありますし、もっともっと良い生活したいってのもありましたし、結婚もしたしってのはホントに強かったんで。
心機一転じゃないですけど、今まで以上に「野球で飯を食おう」っていう気になりましたね。
(12月22日横浜で結婚式を挙げた後、すぐに名古屋に戻って練習されてるんですね)
新婚旅行行くはずだったんですけど、キャンセル料とられないぐらいの11月の半ばぐらいに、
「やっぱり練習やらなきゃいけない」と。旅行行ってゆっくりしてる場合じゃないと。
「野球」を大事にじゃないですけど、これで飯くわなきゃいけないっていうカンジがあったんで、
すぐ帰ってきて練習して人よりも目立たなきゃいけないなという気持ちになってたんで…。
(あ〜…あののんびりやさんが、段々段々欲が出てきてるのがわかりますねえ…テラシミジミ)
新婚旅行行くはずだったのが行けなくなって、嫁には何回も謝りまして…(笑)。でもねわかってくれたんで。
(そして7年目の2003年、この年は2割7分1厘と、ようやくある程度納得いく数字が出てきましたね)
2割5分超えたっていう自信もつきましたし、気持ちも「一軍」に慣れるようになったというか。
そういうところでやっと「プロ野球選手」に少しずつなれれたかなあというカンジがした年ですね。

※次回からオレ流編。代打に行く前に監督からかけられる言葉の内容、などなど。

77 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/24(木) 02:45:27 ID:LNkZmB3M0
>>76去年藤波が「森野は引きずらないタイプ」とか言ってたけど、口先だけで「もう忘れました」「切り替えました」とか
言ってるだけで、実は結構引きずりまくるタイプなんだろうかと思った。

第60話
(チームは2位だったんですけど、オフに落合監督が就任と。また監督さん変わりましたね)
その年川相さんが入ってきたんですけど、「こりゃ盗まなきゃいけないな!」と、守備を。
目の前で川相さんの守備を見て「やっぱ違うな」と。打球への入って行き方が全然違ったんで。
「もっと守備をやんなきゃいけないな」と思った年でもあったんでね。守備は大事だと思いましたね、やっと(笑)。
川相さんの動きをよーく観察してましたね、足の動きを特に。
僕たちは練習の時に楽をしようとしちゃうんですけど、川相さんはツライけどちゃんと「一歩」を出すわけですよ、最後の一歩を。
だから練習でもちゃんと良いところで捕れて…そういうのが素晴らしかったですね。
苦しいけどもその形をやらなきゃいけないなと、続けないとその形が自分のものにならないなと思いました。
「人の形の真似をしてみたいな」っていう気持ちになりましたね。

第61話
(そして結局8年目は80試合で2割7分2厘)
この年は大雑把にみてスタメンと代打で…代打が凄い打てた年だったんです。スタメンは39試合。主にファーストやってて。
ファーストを初めて真剣にやるっていう年だったんで、また新たな挑戦だったんですけど。ファーストの難しさもわかった年でした。
向こうが一生懸命捕って投げてきた球をなるべく捕ってあげたいわけじゃないですか、ショートバウンドでもハーフバウンドでも。
なんとかアウトにしてあげたいし、エラーをつけてあげたくないわけですから。そういう最後の一番大事な役なんで。
僕が一番思ったのは相手が投げやすい構え方、準備をしようと思って。
とにかく全力でファーストベースまで行って、早く構えてあげたい、向こうのタイミングで投げさせてあげたい、と。


78 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/24(木) 02:47:46 ID:LNkZmB3M0
第62話
8年目の2004年は代打で結果が結構残せたんで…代打で打つと「打てた!」というイメージが凄いあるんですよ、自分の中で。
スタメンだと2割2分ぐらいだけど代打だと3割5分以上打ってるんですよ。
(スタメンの方が気が楽じゃないですか、4、5回チャンスあるんですよ?)
そうなんですけど、監督が僕が打てるピッチャーの時に僕を代打であえて出すわけですよ、ちゃんとね、考えて。
僕に自信を持たせて行かせるんですよ、代打でも。「僕のためにこのピッチャーに合わせて出してくれたんだな」と。
僕もプラスに考えれるというか。「このピッチャーはじゃあ打てるんだ!」ていう楽なイメージで。
代打で初めてHR打ったのがその年の横浜戦で、自分では打てるとは思わなかったんですけど
その前に監督が『絶対打てる』って言ってたんですよ。『何を振っても打てるから大丈夫だ』って。そしたら3ランで。
ピッチャーは川村さんで、相性は良くもなく悪くもなく…だけど打ってる方でしたね。自分でも好きなピッチャーで。
『点は絶対入るから大丈夫だ』って言うような言い方したんで、「三振がないんだな」ってカンジじゃないですか。
でもまさか打ってみたらバックスクリーンへのHRですよ…。

第63話
五十嵐から打ったHRもそういうカンジでした。3点差なのに『2人ランナー出れば追いつくぞ』って監督が言うんで、
みんなが『なんでですか??』って聞いたら『1人いるじゃねーか、ここに』って僕を指して。
そーしたら…あのHRですよね…。追いつくとしたら僕しかいない、っていうカンジで言ってたんで。で案の定2人出てHR…。
(暗示かけてるわけでもないんですかね…)
いや、それを7回ぐらいに言ってるんですよ、早くも。『お前こんな早くに素振りしてもしょーがねーぞ。9回だから』って。
その時ヤクルトのピッチャーが藤井さんで、中日が三振15個くらいとられた試合だったんでピッチャー変わるわけないんですけど、
9回に向こうがピッチャー変えてきて、それで五十嵐が出てきて…。監督が『もし変えてきたら、あるぞ』ってカンジだったんで。
代打でこれから行かなきゃいけない、誰が行くかわかんないっていう緊張感があるんですけど、そういうのを楽にしてくれますね。


79 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/24(木) 02:51:01 ID:LNkZmB3M0
第64話
昔は五十嵐に対して僕そこまで打ってなかったんですよ、三振ばっかで。でもその一打席で未だに良い方向に行ってますからね。
2004年は代打の成功率が中日で一番良くて、代打HRも多くて「代打」というものが凄く注目された年だったんですけど
代打を選んでるのは監督ですから、そういう内部を知ってればね、こういう風に送り出されてるっていうカンジですね。
(そうやって送り出されると非常に気持ち楽に打席に立てるもんですか?)
楽ですよ、だって余計なこと考えないですもん。「打てる」と思っていくだけですから。
「打てるかな〜…打てないかな〜…」じゃなくて「あ、打てるのか!」という楽な気持ちですよ。
その年はホントに代打をやって楽しかったですね、裏にいるのが楽しいというかね。

第65話
でも代打は息切れも激しいです、緊張しすぎて。一打席しかないじゃないから、「モノにしたい!」っていう気持ちがあるわけですよ。
集中というか緊張感が…足震えたりとかしますからね。打席の中でずーっと。身震いがする時もありますし。
(そしてこの年、9月に待望の長男遼真くん誕生、これも励みになりますね)
そうですね、ホント嬉しかったですね。最初は男の子が欲しいと思ってましたし。
(そして2004年10月1日、中日は5年ぶり6回目のリーグ優勝。初めて優勝に関わった気持ちはどうでした?)
初めての経験だったんで、「ほんっとに嬉しい!」っていうね、「こういうことか!」っていうカンジでしたね。
(10月1日の試合自体は負けてしまったんですけど、そのあたりはどうでしたか?)
あの最後の満塁ホームランですよね。僕レフト守ってたんで真上を通っていったわけですよ、「…あ〜あ…」と思ったんですけどね。
まあだけど一年間やってきた苦しみじゃないですけど、2004年ていうシーズンが充実してたんでね。
ビールかけは楽しかったですね〜、ビールかけってものをしたことがなかったんで。あんなこと普通じゃできないですもんね。
ビールかけ始まる前にもう飲んでました(笑)。もうね、「いっか〜♪」と思って。ノド乾いちゃったし(笑)。

※次回からレギュラーへの道編。スタミナ切れとの戦い、虫けらノックとの戦い、などなど。


86 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/25(金) 02:16:45 ID:+7K1W/3x0
>>80話し方といえば、森野は舌ったらずなせいか時々物凄い子供みたいな喋り方になる時があって、
久野アナがそれに引きずられてか森野に対し『その時どうしたのかなぁ?』と子供に問いかけるような優しい声色になるのが笑えた。

>>81マジお疲れさんでした…一番天候が悪い時期にぶつかったようで…。

第66話
(そして西武との日本シリーズ、残念ながら逆転負けみたいなかたちで3勝4敗、どんな気持ちでした?)
なーんかねえ…真っ白になっちゃいましたね。毎試合のように出させてもらって、ヒット一本しか打てなかったんで。
「悔しさ」じゃないけど…「さみしさ」ですよね。折角出させてもらってるのになっていう…。
大事に行きすぎたというのが凄いあったんですよ、「見たい!」ていうのがあって…いつもは初球からどんどん振ってくのに。
(この年推定2500万で契約更改。プロの世界で活躍すればだんだん上がってくるというのを実感してますかね)
そうですね、またね結婚してからずーっと上がってるんで、うちの嫁は『私の力よ!』とか言ってますけど(笑)。
(結婚してダメになると奥さんのせいにされますけど、そういう意味では奥さんに楽させてますね・笑)
ほんとにね、今はね、良かったと思います(笑)。
(そしていよいよ2005年、オープン戦で結果を出して開幕一軍掴んでますね)
この年はレフトの争いがあったんで、なんとかアピールして出れるように頑張ってました。
(サードをやりセカンドをやりファーストをやりレフトをやり…ポジションも背番号もよく変わってらっしゃいますね…笑)
そうですね、あちこち行ったりね(笑)。


87 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/25(金) 02:19:10 ID:+7K1W/3x0
第67話
ポジションのこだわりは無いですし、「試合に出たい!」ってのが強かったんでレフトでチャンス掴もうと。
(4月9日巨人戦でシーズン初スタメン、そして4月17日に立浪さんがレフトでサードを守るということに)
僕もよく状況がわかんなかったんですけど、朝アップしてる時高代さんから『今日サードだから』ってみんなの前で言われて。
「ん?どうしたのかな?」と思って…正直何にもやってなかったんですよ、サードなんて。だから「出来るかな…」ってカンジで。
その頃レフトが多くて。でサードってレフトより近いじゃないですか。…怖いですよね…、改めて怖いと思いました。外野から内野に戻ると。
練習はいいんですけど、試合になったら「これ、ま〜ずいな〜…」って(笑)。不安感いっぱいですよ。
(飛んでくるなー!みたいな・笑)
「飛んできてもいいけど弱い打球で!」みたいな(笑)。
(この2005年は118試合出場、スタメンで97試合、2割6分8厘と)
打率は2割6分8厘なんですけど完全に息切れですね。最後の方には何にもできなかったっていう。バット一回振るのも必死で…。

第68話
シーズン通してここまで出たことがなくて。こんなにツライものだとは思わなかったし、甘いもんでもないってのもわかったんで…。
(2005年はプロ入りして始めてフルで一軍登録と、それだけに疲れが…。一時は打率が3割越えてたんですね)
いっつもそんなことはあるんです、『一時は』『一時は』って(笑)。
必ず息切れするんですよ、で息切れしたら戻ってこれないんですよ、息切れしたらしっぱなしですよね。
どっちかというと僕も固め打ちするタイプなんで、そういう部分ではやはり波がありますよね。
交流戦入ってすぐダメになったんで…僕もどっちかっつったら交流戦の被害者ですよね(笑)。
日本シリーズで「知らないピッチャーは見ちゃいけない!」って思ったのに、また同じことをやってしまったというか…。
(当時ドラワルに出た時に「長い一年でした、苦しい一年でした」とおっしゃってましたね)
息切れしてる状態ですからね(笑)。改めてスタメンで出続ける人は凄いなと思いました。精神的にも強くなきゃできないなと。


88 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/25(金) 02:19:50 ID:+7K1W/3x0
第69話
(そして何よりも、2005年終わった後の秋季キャンプで落合監督から激しいノック受けましたね)
もうホント嫌になりましたけど。絶対ツラくなるってわかったんですけど、自分でも絶対弱音を吐かないようにして、
出来るとこまでやらなきゃいけないと思いました。自分から「無理だ」って言うのはやめようと思ったんですよ。
そう誓っていったら、ほんとにその通り延々ノックが終わらなくて。『無理だと思ったらグローブ捨てろ』って言われたんですけど、
そういう気がさらさら無かったんで…で持ち続けたら倒れましたね(笑)。
失神ていうかね…もう目の前真っ白ですよね、それが失神ていうのかもしれないですけど(笑)。
ほんとにボールしか見えなかったですね、動いてるボールしか…。何か聴こえてるんだけど人が言ってる言葉さえも覚えてないですし。
(そんなに練習やったのは入団以来?)
入団どころじゃないですね、野球人生で初めてですね。自分がそういう気持ちになったのも初めてだったんで。
そこまで自分のことを高めたことは無かったというか…ほんとに「大人になったな」っていうカンジでしたね。

第70話
(でも考えたら、それがあったから規定打席達しての2006年のシーズンがあったといえるんじゃないですかね)
そうですね、それがなかったら骨折してまた弱い気持ちになってたんじゃないですかね。
(そして翌春のキャンプ、順調に行ってました?)
辛かったですよ〜春も。秋に負けず…。午前中雨が降ってみんなが練習終わる中、何故か午後になると晴れるんですよ沖縄の雨は。
「晴れてきた…まずいな早く帰んないと」と思ったら案の定『やるぞ!』と言われて…ノックですよ。辛かったですね2時間とかね…。
当たり前になってしまってたんで…自分でやってるのも怖いんですけど(笑)。
だけどもうシーズン前だとそこまでキツイとも思わなかったですね、気が凄い張ってたんで。
(で、順調にキャンプからオープン戦といく中で、また、やっちゃいましたと…)

※次回2006年シーズン編。小指骨折、ノーノーでエラー、などなど。多分最終回まで行けるんじゃないかと…。


94 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/26(土) 03:03:42 ID:zna7sh5m0
第71話
(ショックだったでしょこれは…)
そうですね…。骨折して、ベンチ裏に入って行って…まあ自分でも絶対折れたってわかったんですよ「これはダメだな」っていう。
まず病院に行って「やっぱり骨折か」ってわかった時には、何を聞いていいのかわかんないんですよね、病院の先生に。
「いつ頃くっつきますか」とかっていう気にもならないし…。
先生は『7月まで治らない』とか言うんですけど、「それはないだろ〜」と思って。絶対それよか早く治してやろうと思って。
(2年目の骨折の時とは全っ然意識違いますね〜)
折れてて痛くても練習やっちゃおうかなと思って。正直やってたんですけど、先生に内緒で(笑)。ボール投げたり。
(森野さん随分変わりましたね〜そこら辺の意識が…)
それぐらいやんないと規定打席達してなかったんでね。まだ間に合うまだ間に合うって。そこら辺の気持ちは切らさずに。
(空白の2、3年目、一軍二軍を行ったりきたりしたこと、色んな事が今に繋がってるってことですかね)
そうですね、あの頃から一回りも二周りも考えることが大きくなった気がしますね。ほんとに子供でしたからね…あの頃は。

第72話
(で結局、みんなが思ってたより早く復活されたんですよね)
もう練習やってたんで、肩の状態はすぐボール投げれる状態ですし、バッティングも振れる状態だったんで、
ほんと手の痛みさえ無ければっていう…。正直振っても痛いしボール投げても痛いんですけど、我慢しながらやってました。
(5月4日一ヶ月ぶり打撃練習再開、5月18日もう一軍登録と。これで規定打席に間に合うぞ!という思いですか)
…正直ね、「こら無理だ」と思いました(笑)。僕が上がった時に一軍の試合が111試合残ってたんですよ。
1試合4打席立つとして444打席で足りないでしょ。それで無理かなと思ったんですよ。
僕が打つとしても下位の打順だから3打席の試合もあるわけじゃないですか。で「足りないな」と。
でもまさか1番打つとは思ってなくて…。最低4打席回ってくるし、1番打ったのは大きかったですね。


95 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/26(土) 03:04:16 ID:zna7sh5m0
第73話
(6月13日には西武戦で初の先頭打者HR、6月24日工藤投手からプロ入り初の満塁HR、またも記念HRが工藤さん)
正直打てると思いましたねあの時は。工藤さんが調子よくなかったんで、下手な球投げてきたら打てるなと。
ちゃんとデータも入ってたんで、「工藤さんインコース突っ込んでくるな」と思ったら案の定…。
あの時は冷静というか、「喜べた」っていうHRでしたね。最後までボールの行方も見て、落ち着いてたというか…。
(実はこの6月24日の巨人戦はまさに森野さんのゲームで、最後サヨナラヒットでしめるわけですね)
まさかね…追いつかれるとは思ってなかったんで(笑)。「まさかこんなことが」っていうカンジですよね。
野球やっててないですよ、満塁HR打って、さらにサヨナラヒットで。サヨナラ満塁HRならあるかもしれないですけど。
(それから去年のトピックスでいうと、山本昌さんのね、ノーヒットノーランの時のね…笑)
そうですね…あれは野球人生で最大の…ミスですね…はい…。

第74話 ※森野のテンションが激低い回
(川上さんの試合でゲッツーをエラーしてその後3ラン、エラーが非常にキツかったと言ってましたけどあれと比べてどうです?笑)
いや〜…ねえ…「完全試合を阻止した男」ですから…。※以降久野笑いっぱなし
(でもあれがあったからこそ山本さんもある意味気楽に投げられたってことも言えるわけですからね)
…なかっ…たことにして欲しいですよね、ホントに(苦笑)。27人で終わって欲しかったですね…。
まあ…僕のせいなんですけど…。阪神のベンチに帰りたかったですね…(笑)。
山本さんと話す前に監督が『お前いいのかこれで。(昌に)金渡してもいいんだぞ(笑)』って。お詫びの(笑)。慰謝料すね(笑)。
昌さんには『気にすんなよ』とは言われましたけど…気にしますよね。
(井端さんは昌さんがノーノーやるなんて思ってなかったから皆結構気楽でしたよ、って話してましたけどね)
エラー4回にもう出てますもん…そりゃ気楽ですよ(笑)。完全ですもん、準完全ですもん。フォアボール一個でも出せば
自分のせいだけど、人のせいですからね、エラーは…。またあの日は阪神が早撃ちで、3ボールまで行かないんですよ。「何考えてんだ」と…。(久野爆笑)


96 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/26(土) 03:06:18 ID:zna7sh5m0
第75話
(ノーノーでみんなワーワー喜んでる中で、森野さん一人が『あ〜やっちゃった…』と・笑)
僕がファーストに投げてアウトとって、マウンドに行くまでの遅さ…ですよね。申し訳無さそうに。
みんなもう集まって…ベンチからも来てるわけですよ、それよりも僕の方が遅いですからね。素直に喜べなかったです。
チームメイトからも色々からかわれすぎて覚えてないです(笑)。
(そして10月10日、これ以上ないというドラマチックな優勝決定のシーンになりましたよね。その場にいてどうでした?)
いや、イメージと違ったんですよね。僕サードから行くはずだったのにレフトから行ったんですよ。…遠かったです。
必死にマウンドまで行くのに、みんなもう集まってグチャグチャになってるのに「まだ着かない!まだ着かない!」って…。
足が遅いからしょうがないんですけど(苦笑)。僕一番遅かったんじゃないですか?ベンチから来る方が早いでしょ。
岩瀬さんに一回も触ってないですもん…真ん中に行けないわけですからね。ビールかけは2回目ですけど、やっぱり何回やってもいいもんだなと…。

第76話
(そして日本シリーズ、圧倒的に中日有利と思われていたら1勝4敗でやられてしまったと…どんな思いでした?)
…あっという間でしたね…。夢を見てたような…。「日本ハムが勝つ」というシナリオでやってたんじゃないかって位のカンジで。
北海道で最後の最後に3試合も向こうでやって終わるようなね。
(そういう意味では日本ハム主役のドラマで、中日が完全に脇役になってしまったというのがとてもさみしい思いがしたんですけど)
僕も何故かね…ほんとに「悔しい」という気持ちはありますけど、「なん…かこれ、デキレースじゃないの???」ていうぐらいの
よく出来たドラマでしたよね…。チャンスで打てなかったっていうのが一番の心残りです。
5番として打点があげられなかったっていうのがね…。ダルビッシュしか打てなったんで…他のピッチャー打っとけばな〜と。
(こうして2006年のシーズンは終わったんですけど、森野さんとしてはプロ入り10年目で規定打席に達することができたと)
僕規定打席ってものが一回もないんですよ、二軍でもないし一軍でもなかったんで。そういう部分ではほんと嬉しかったですね。


97 名前:代打名無し@実況は実況板で (sage)投稿日:2008/01/26(土) 03:07:16 ID:zna7sh5m0
第77話
(2割8分、数字的にはどうですか?)
ビミョ〜な数字ですけどね。だけど自分では一番最高の数字ですし…。
打席立っる分それは多くなるのかもしれないですけど、結果を残せたって意味ではよかったなというシーズンでしたね。
(それと我々は立浪さんをサードからベンチに追いやって、森野選手がレギュラー掴んだという捉え方してますけど、どうですか?)
僕自身はそうは思ってなくて、僕がチャンスをもらったのはセカンドだったんで、セカンドからサードに移ったわけで、
最初からサードを守り続けてたわけじゃないじゃないですか。セカンドやったり外野もやったりしてたんで。
そういう意味では今年が本当の勝負の年だと思ってます。
(この辺りも昔の森野さんと大分意識が違う気がしますね。プロ野球人はこうやって育つのかなと今回の私小説聞きながら
 改めて感じました。2007年森野選手が更に飛躍する年であるようお祈りしたいと思います。有難うございました。)
ありがとうございました。

オワタ\(^o^)/ 長々とスレ占拠状態になっててすんませんでした。

>>93
バク転は上手く決めれ いつもフリーダムでいろ 出来る範囲で かまわないから



HOME